朝、洗面台の前でヘアオイルを手にとって毛先になじませる。ドライヤーで仕上げた直後はたしかにツルッとしている。でもコンドミニアムを出て5分、BTSのホームに立つころにはもう毛先がパサパサに戻っている。夕方、オフィスのトイレの鏡で見た自分の毛先は、まるで枯れたススキの穂先のよう——。
バンコクに来てから、どのオイルを試しても、日本から取り寄せたトリートメントを使っても、毛先のパサつきが一向に改善しない。そう感じているなら、それはあなたのケアが間違っていたわけではありません。
パサつきの正体は、髪の内部にある「接着剤」の流出です。表面にオイルを塗っても、中がスカスカになっていれば改善しにくいのです。
📎 バンコクの環境が髪に与える影響の全体像はこちらの記事をご覧ください。
🔬 髪の三層構造と「内部の接着剤」CMC
髪の毛は3つの層でできています。外側のキューティクル(魚の鱗のように重なって内部を守る外壁)、中間のコルテックス(髪の約85〜90%を占める構造体)、そして中心のメデュラ(芯)です。
これらの層をつなぎとめている接着剤がCMC(Cell Membrane Complex=細胞間脂質)です。CMCはセラミドやコレステロールなどの脂質と特殊なタンパク質で構成されており、水分や栄養を通す通路であると同時に、適切な水分量(通常11〜15%)を保持する「ダム」のような役割を果たしています。
レンガ造りの壁を想像してみてください。コルテックスの細胞がレンガだとすれば、CMCはレンガとレンガを接着するモルタル(目地)です。モルタルが溶け出したレンガ壁がどうなるかは想像に難くないでしょう。レンガ同士がガタガタに緩み、隙間から風や水が吹き込み、壁全体がもろくなる——これがまさに、CMCを失った髪の内部で起きていることです。
🛡️ 18-MEAの喪失——バリアが剥がれる瞬間
髪の最外層には18-MEA(18-メチルエイコサン酸)という特殊な共有結合脂質の層があり、キューティクルの表面を覆っています。この18-MEAが髪に本来の疎水性(水を弾く性質)を与え、過剰な水分の侵入を防ぐバリアとして機能しています。
ところが、バンコクの硬水(硬度約100 mg/L以上、日本の軟水は30〜50 mg/L)やアルカリ性の水道水(pH8.4前後)に日常的にさらされると、この18-MEA層は化学的に分解されて剥がれ落ちてしまいます。さらに、硬水中のカルシウム塩がキューティクルの隙間に微結晶として蓄積し、ウロコ状に重なっているはずのキューティクルが物理的に閉じきらなくなります。
18-MEAを失いキューティクルが開いた髪は、親水性に傾いた「ポーラス毛(多孔質毛)」状態になります。ポーラス毛はスポンジのように水分を急激に吸い込み、急激に放出します。湿気があればボワッと膨らみ、乾燥すればパサパサになる。この不安定さこそが「何をしても毛先がまとまらない」という悩みの本質です。
へぇポイント: 金属石鹸という言葉をご存知ですか? バンコクの硬水中のカルシウムイオンやマグネシウムイオンが、シャンプーの界面活性剤や皮脂と反応すると、水に溶けないワックス状の沈殿物=「金属石鹸」が生成されます。これが毛髪表面にこびりつくと、まるで曇りガラスにフィルムが貼られたような状態になり、後から塗布するトリートメントの有効成分が内部へ浸透できなくなります。「表面はベタつくのに中はスカスカ」というバンコク特有の厄介なパサつきは、この金属石鹸が原因のひとつです。
💧 ハイグラルファティーグ——CMC流出を加速させるもの
バンコクでは屋外の湿度が70〜80%を超える一方、BTSやショッピングモール、オフィスのエアコンは強力に冷房が効いて極度に乾燥しています。この湿度差の往復で、髪は「膨潤(水を吸って膨らむ)」と「収縮(乾いて縮む)」を1日に何度も繰り返します。
これがハイグラルファティーグ(水和疲労)です。金属の針金を同じ場所で何度も折り曲げると、やがて金属疲労でポキッと折れてしまいますよね。髪も同じです。膨潤と収縮の反復で、CMCに繰り返し牽引力と圧縮力がかかり、接着力が限界を超えて破壊されます。濡れた状態で髪は重量の最大30%もの水分を吸収して膨れ上がるというデータがあり、この激しい体積変化がキューティクルを内側から押し上げ、CMCやケラチンタンパク質の流出を招くのです。
ハイグラルファティーグが進行した髪は、濡れるとゴムのように不自然に伸び(マッシーな質感)、乾くと極度にパサついて広がるという特徴的な症状が出ます。30代以降は加齢による内部密度の低下もあり、この構造崩壊が20代より速く進行する点にも注意が必要です。
🏠 自宅でできること——CMC流出を防ぐ具体策
プレプー(洗髪前のオイル塗布)で過膨潤を防ぐ
ハイグラルファティーグの最も効果的な予防法のひとつがプレプー(Pre-poo)です。シャンプーの30分ほど前に、ココナッツオイルを毛先中心に塗布して浸透させます。
なぜココナッツオイルなのか。二次イオン質量分析(SIMS)を用いたRuetschらの研究(Journal of Cosmetic Science, 2001年)で、ミネラルオイル(鉱物油)は毛髪表面に留まるだけなのに対し、ココナッツオイルは主成分であるラウリン酸(炭素数12の飽和脂肪酸)の分子が小さく極性を持つため、毛髪の繊維内部(コルテックス)まで深く浸透することが実証されています。内部にあらかじめ疎水性のオイルが満たされることで、洗髪時の急激な水分流入と膨潤が抑えられ、CMCへの負荷を大幅に減らせます。
キレートシャンプーで金属石鹸を除去する
CMCを守るために、まず金属石鹸というバリアを取り除く必要があります。EDTA(エチレンジアミン四酢酸)やフィチン酸などのキレート成分を含むシャンプーを週1〜2回使用し、蓄積したカルシウムやマグネシウムを化学的に包み込んで洗い流します。毎日使うと必要な脂質まで奪うため、スペシャルケアとしての位置づけが適切です。
普段使いには、硬水中で金属石鹸を生成しにくいノニオン(非イオン)系界面活性剤(デシルグルコシドなど)ベースのシャンプーを選ぶと、日常的なビルドアップを防ぎやすくなります。
低分子タンパク質で空洞を埋める
CMCが流出してスカスカになったコルテックスには、分子量の小さい加水分解ケラチンやシルクアミノ酸を配合した洗い流さないトリートメントが有効です。大きな分子では空洞の奥まで届きにくいため、「低分子」「アミノ酸」というキーワードを成分表示で確認してみてください。
💆 サロンでできること——CMC流出した髪の再構築
メタルデトックス → 酸熱トリートメントの順番が鍵
neveでは、まずクラリファイングシャンプーや専用のデトックス処理で毛髪表面の金属石鹸や不純物を完全に除去し、その後に酸熱トリートメントを行います。
酸熱トリートメントでは、レブリン酸やグリオキシル酸などの酸性成分を髪内部に浸透させ、アイロンの熱(脱水縮合)を利用してケラチンのアミノ基との間にイミン結合という新しい架橋をつくります。加齢やハイグラルファティーグで空洞化したコルテックスの密度が人工的に高まり、水分の無秩序な出入りが抑えられることで、パサつきの根本原因にアプローチできます。
順番が大切な理由は、金属石鹸が残ったままでは酸性成分が内部まで浸透できないからです。「トリートメントしても翌日に戻る」という方は、この蓄積が原因かもしれません。現在の髪の状態を見せていただければ、何が起きているのか一緒に確認できます。